こんにちはカマキリでございます。ワタクシは全く歌心がございません。人生、一度も和歌や俳句などを作ったことはございません。そんなワタクシですが、唯一、敬愛してやまない歌人がおります。松尾芭蕉(江戸時代元禄期の俳諧師)です。本日は、その松尾芭蕉について語らせて頂きたいと思います。
❒ ワタクシが最初に松尾芭蕉と出会ったのは高校一年生の時でございます。
当時のワタクシはお世辞にも優秀とは言えず、古典の授業は特に苦痛でした。
何を言っているのかサッパリ分からず、もう宇宙語を勉強しているという感じでございました。
しかし、そんなワタクシの無情観を完全に粉砕する出来事が起こったのでございます。
三学期に入った頃でしょうか、松尾芭蕉の“奥の細道”が取り扱われるようになったのでございます。
ワタクシは、いつもように鼻糞ホジホジで授業を聞いていると、担当の先生が、芭蕉の一句を詠み、ワタクシに感想を求めたのでございます。
その句は、
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
でございました。
ワタクシは、
「時の流れの中にある悲哀と混沌」
とか訳の分からない回答をすると、先生は、
「まっ、人の解釈には色々ありますから」
と返されたのでございます。
❒ この言葉がワタクシの歌心を目覚めさせたのでございます。
「えっ、解釈って色々あるのか?」
当時、ボンクラだったワタクシは解釈は一つであると思っておりました。
その時からワタクシは古典の現代語訳を精読するようになったのでございます。
原文なんか読んでも全然分からないので、現代語訳からその心を掴もうとしたのです。
奥の細道は非常に奥深い作品でございました。
ワタクシは読めば読むほどその魅力に憑りつかれ、最後に出た感想が、
「これって、無常観?」
というものでした。
❒ それから数年後、この俳句のワタクシ的解釈が完成する時がやってきたのでございます。
ワタクシの故郷の近くにあります古城跡を訪れた時のことでございました。
その城は鎌倉時代から戦国時代にかけて栄華を極めましたが、当然のように今は跡形もございません。
ただ、独特の空気感を出しており、何と言いますか、血の臭いと申しましょうか、鉄分を帯びた沈殿とした気と申しましょうか、とにかくここで数多の戦いが行われていたことが肌で感じとることのできる場所だったのでございます。
さらに、そこの近くには、スナック明美というコテコテの名前のバーがある。
「もしかしたら芭蕉は、生と死の輪廻を言いたかったのではないだろうか」
ワタクシは勝手に無常観を、生きとして生ける物の争うことのできない帰結と解釈しておりました。
しかしその地に立ち、戦士達の血の臭いを感じ、スナック明美の看板を見ているうちに、この句は陰の歌ではなく、陽の歌なのではないかと解釈するようになったのでございます。
「まっ、色々あるけどベストを尽くそう」
これがワタクシが出した句への最終的な解釈でした。
以上、カマキリcolumnでした。
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